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もし、この本を世界中の人が読んだ時点で世界平和が実現していなかったら私の命を差し出します。:著者

α:はじめに

 
この本の内容を一言で説明するのはとても難しい。あえて言うならば「歴史上、類書の存在しない『すべての答え』が書かれた本」としか表現のしようがない。もしくは「人間の脳の使い方マニュアル」とでも言うべきか・・・。でも、それでは余計に意味不明なので、私がこの本を、どのような経緯で執筆したのかということを、まず、ご説明したいと思います。



 2012年の12月、私は『ハートカッター』という小説(物語)を書いていました。まるでハートがカットされ、自分という存在に大きな穴が開いてしまったように言葉が流れ出して来て、意図も企(たくら)みも計算も一切なく、昼も夜も、ただ無心にキーを叩き続けていました。
その執筆過程で私は突然、失踪しました。自分でも何を目的として家を出たのか分からず、これから失踪するという自覚すらないままに、ただ、眼には見えない天啓のようなものに手を引かれて。
ほとんど手ブラのまま「ちょっと散歩に行って来る」とだけ家族に言い残し、麻痺した頭を抱えて、電車の路線も乗り換えも見失ったまま、終電で辿り着いた終着駅が青梅線・奥多摩駅。12月の真夜中の奥多摩の真っ暗な山道を彷徨(さまよ)い歩き、あげく、自殺者を見張ってパトカーで追って来た警官に補導されて駅前まで連れ戻され、「玉温荘(ぎょくうんそう)」という宿に素泊まりすることになりました。
奥多摩にいた最初の数日は、一日中コタツに入って泣いていました。悲しいわけでも苦しいわけでもなく、ただ泣いていました。
 「玉温荘」の大きな窓からは、美しい奥多摩の大自然と赤い橋がよく見えました。飛び降りたら確実に重症は負うだろうけど、たぶん死ぬのは無理、という非常に絶妙な高さの橋が。


 飛び降りたあげくに死に損ない、妻子に迷惑や負担をかけるのだけは止めよう。死ぬなら、きっちり死のう。


 そう思っていました。左半分が死。右半分が生。その、ちょうど真ん中の細い細い線の上を、ずっと歩いている気分でした。この時の状況や心理は、ある種の宗教体験のようなものだったので、他人に納得してもらえるような形で説明することが出来ないのですが、ただ、私という人間は眼には見えない刃物で切り裂かれ、43年間かけて心に溜めこんできた何もかもが流れ出して、まるで魂が空高く昇天したような感覚を味わっていました。
 図らずも足を踏み入れてしまった、その冥界のような場所で、たった独り、生と死の間をグラグラしながらも、どうしても人のいるところに戻ることが出来なかったのは、人の心の中が見え過ぎてしまい怖かったからです。さらに言えば、人の心の中が見え過ぎてしまったがゆえに、自分のことで他者に心理的負担を掛けることに自分の心が耐えられなかった。その時、生まれたての赤ん坊のように心が丸裸だった私は、以心伝心で通じ合うことの出来る「一兎(かずと)さん」という友人としか会うことが出来なかった。そして、彼との交流を通じ、心をふさいでいた穴が全部開き『ハートカッター』の加筆パートを(宿にはPCがなかったので、ボールペンで)バリバリと執筆することが出来ました。
しかし、むしろ、作品を完成させることにより、生きる理由も死ぬ理由もなくなってしまった私は、中身が何もなくなってしまった魂を、ただ宙にさまよわせたまま肉体的には生き、精神的には成仏していました。
 そして、生死のボーダーを越える寸前に父親が助けに来てくれて、魂が完全に救済された後「もう、たぶん大丈夫」という状態になってから、現実の世界から妻が現れ、私を電車に乗せて世俗社会に連れ戻してくれた。今考えると、謎の衝動的失踪も『ハートカッター』という小説の執筆も、すべては『ハートメイカー』を書くために、私という人間が脱皮するためのプロセスだったのだと思います。
 「玉温荘」に滞在している間、私の中には『ハートメイカー』という作品のアイデアの欠片もなかった。でも、いつか『ハートカッター』(心を切り刻む)と表裏をなす『ハートメイカー』(心を創造する)というタイトルの作品を書くことになるだろうという、不思議な確信だけは抱いていました。そして、その予兆が具現化したのが、この本です。



「玉温荘」という場所でいったい何が起こっていたのか? その意味するところは今でも分かりません。ただ、そこで何か超自然的なことが起こっていたのは確かです。
あの、古びた宿の一室は、そこだけ明らかに時空が歪んでいました。その一室だけが宇宙に浮遊しているような不思議な空間だった。空気に粘度があり、まるで子宮の中にいるように外界から遮断された感覚がある。そして、私自身も含めて、中にいる人間の自我シールドをすべて溶かし、心をむき出しにしてしまう不思議な力を宿した「シェル(殻)」でもありました。
一言で言えば、まさに「異界」。もし、この世とあの世をつなぐ場所があるのならば、私は、そういう世界に足を踏み入れていたのだと思います。
奥多摩以降、私には様々なものが「見える」ようになりました。「見える」と言っても霊やオーラが見えるのではなく、「世界の仕組み」が見えるようになってしまったのです。奇異に聞こえるかも知れませんが、釈迦にとっての(悟りを開いた)菩提樹が、私にとっての「玉温荘」だったのだと思います。
不思議なインスピレーション(神を信じる人ならば、それを「お告げ」「啓示」「預言」と呼んだことでしょう)は、時と場所を選ばずに私に襲い掛かって来ました。「もう、止めてくれ、見せないでくれ!」と思っても、パタパタパタパタと、いろいろな「答え」が見えてしまう。ふっと「で、結局のところ、神って何なんだろう?」と一瞬、疑念を抱いただけで、その答えが見えてしまう。「ピラミッドって、何のために、どうやって建造されたの?」と心に浮かび、「ああー! もういい! そんな答え、知らなくていいから見せないでー!」と胸の内で絶叫しても答えが分かってしまう。厳密に言えば、先に問いに対する「答え」となるアイデアが閃き(啓示を受け)、その後で「問い」と「答え」の間を埋める(つなげる)情報がパズルの断片のように(ネットや本やテレビから)吸い寄せられて来て、最終的に一つのパズルが完成する、というプロセスの繰り返しを経て作られたのが、この本です。例え、知りたくはないと思っても、先にパズルの完成図を見せられてしまったら、そのパズルを組み立てないわけには行かない。
それはとても孤独で苦しく、しんどい作業でした。脳神経が電気パルスの物理的な負荷に耐え切れず、本当に焼き切れてしまいそうだった。はたから見ている妻には、なぜ、私が立て続けに失踪するのか、なぜ、ベランダで失神、気絶して倒れているのか、さっぱり訳が分からなかったと思います。外から見たら、私は、ただのいつもの「鈴木剛介」。でも、私の内側では脳の組成が変わり、すさまじいスピリチュアル現象(脳の覚醒/進化)が起こっていました。
 こんなことを言っても気が狂ったと思われるだけなので、人前では言わないようにしているのですが、たぶん、私に分からないこと、私が知らないことは、もう、ありません。全能ではないけど、全知ではあると思う。
 学校で先生が教えてくれるような知識(ネットで調べれば、答えが書いてあるようなこと)に関して、私は小学生並に無知なので、息子たち(8歳と6歳)の宿題を見てあげることは出来ませんが、子どもたちが成長して、

「で、結局のところ、世界って何なの?」

 という根源的な疑問を抱いた時に、この本を読めば、彼らの疑問は氷解する。氷解させる自信がある。
 釈迦は、すべての雑念(とらわれ)を捨て去ることによって「悟り」を開きました。「雑念」とは、言葉によって作られたもの、すべてです。言葉を捨て去るということは、すなわち、「動物の眼線で人間社会の営みを見つめる」ということです。
人間は数千年掛けて各種学問、宗教から恋愛観や結婚制度、そして経済や国家に至るまで、様々なシステムを作り上げて来ました。奥多摩から二年近くを経た今、振り返ってみると、私がこの本で行ったのは「言葉によって作られたもの、すべての解体」でした。言い換えれば、本書は「理詰めで悟りを開くためのガイド・ブック」。頭の中からすべての雑念が消えた時、はじめて人間は世界の本当の姿を知る(見る)ことが出来ます。そして、誤解されることを恐れずに言うならば、『ハートメイカー』の根底にあるテーマは「人類の救済」です。そのことは、恐らく、この本を最後まで読み終えた時に、はじめて理解して頂くことが出来ると思います。
私は自分に「見えてしまったもの」を普通の人が理屈で理解できるように、最大限の努力を払いました。でも、ある種のスポーツのコツのようなものが極限では理論化出来ないように、どうがんばっても言語化出来ない(言葉によって伝えることが出来ない)ライン、読者に「信じる/信じない」「受け入れる/受け入れない」という判断を求めざる得ない領域というものが確かに存在します。
 電車に揺られながらでもいい。オヤツを食べながらでも、スマホをいじりながらでもいいので、ご自分の眼で見て確かめ、そして「決めて」下さい。
 「人間とは何か?」「真理とは何か?」そして「世界は本当に終わるのか?」ということを。

2014年9月
鈴木剛介


 

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【定価】1,620円
【発行】2015年3月11日
【総ページ数】221ページ
【版元】青山ライフ出版
 

 


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