HEART MAKER WEBSITE

Contents

もし、この本を世界中の人が読んだ時点で世界平和が実現していなかったら私の命を差し出します。:著者

8:古代文明の謎を解明するためのマニュアル

 

*『イントロダクション』

 みなさんは聖書に出て来る「ノア」という人物をご存じですか? 先ごろ『ノア 約束の舟』というハリウッド映画が公開されて大ヒットしたので、「ノア」をラッセル・クロウの風貌でイメージしていらっしゃる方もいるかと思います。「ノア」は聖書においては、神の啓示を受けて大洪水を予言(預言)した「選ばれし者」として描かれています。巨大な方舟を作り、動物のつがいをたくさん乗せて、家族とともに40日40夜続いた大洪水を生き延び、新天地で、リセット後の新しい世界を創造する最初の人間になります。そして、この「ノア」の10世代後の子孫が『聖書の解読』のチャプターでご紹介した「最初の預言者・アブラハム」(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教の共通始祖)です。
 よく映画などで、ある人物に未来の大惨事が見えてしまい、周囲の人にその危機を知らせるのだけど、誰も信じてくれず、結局、その大惨事が現実に起こってしまう、というストーリーが描かれます。観客は主人公に感情移入しているから「何で、誰も彼の言うことを信じてあげないんだ!」と周囲の人間に対して憤り、イライラ、ハラハラしますが、では、もし、あなたの周りに実際にその未来を予知する人物が現れ、大惨事を予言した時、あなたは彼の語るメッセージを信じてあげることが出来ますか? ちなみに聖書において描かれる物語の中では「ノア」の未来予知を信じた人間は、彼の家族だけでした。



 私が、この『ハートメイカー』の「初版」をリリース(販売開始)したのは2013年の12月21日でした。で、「あー、ようやく終わった、終わった」と思ってほっとしたのも束の間、その当日に妙なものが「見えて(頭に降りて来て)」しまいました。「世界の仕組み」を、天体運行から人類の歴史まで、1本のライン上で拡大縮小できるチャートです。そのチャート自体はごくシンプルなもので、「見えてしまった図」をペンと定規を使って手書きで書いた(コピー用紙に書き写した)ものだったのですが、そのチャートを眺めている内に「パパパパパパパパ」といろいろなことが分かってしまいました。一言で言えば「古代の人々が、どのようにして天体運行から地上で起こる出来事を予測していたのか?」、そのメカニズム(仕組み)についてです。
現代科学では超高性能な望遠鏡とコンピュータで天体を細分化して把握するから「木を見て森を見ず」になってしまうけれども、古代科学では天空を俯瞰(ふかん)して見ていたから、全体(マクロ・スケール)の動きが逆に理解しやすかったのではないでしょうか? 言い換えると「ザ・ワールド」という名前の自動車のデザインをするために、エンジンの中のパーツをさらに細分化して考えているのが現代科学。「ザ・ワールド」という自動車の全体像を、一歩引いたところから俯瞰(ふかん)してレイアウトしているのが古代科学。
天体運行のベクトルをフラクタル(自己相似)で縮小すると、天体》太陽系》地球周期》自然界》人類》個人》細胞》粒子》……になります。フラクタルは、あらゆる自然界の場面、例えば樹木の枝分かれ/海岸線の形状/血管の分岐構造や株価動向などの社会的現象にも現れます。つまり、もし、すべての現象がフラクタルならば、一つのパターンが分かれば、そのパターンのスケールを拡大/縮小することによって、森羅万象を把握/予測することができる。
もし、21世紀の現代社会に突然「ノア」が出現したら、あなたは彼のメッセージを信じてあげることが出来ますか?

*『古代文明の謎』

まず、以下のネットからの引用記事をご一読下さい。

南米のチリから3000キロほど離れた、南太平洋上の島・イースター島に立っている、有名なモアイ像。確認されているだけで867体あり、一体は5トンから50トンの重さがある。
モアイ像で有名なイースター島には、「この島を作ったマケマケという神様の化身である鳥人が、モアイに歩いて移動しろと命じた」という伝説が残っている。
また、ベイルートの北東約85キロ、世界遺産にも登録されているバールベックの巨石(重さ約2000トン)のある地域では「魔法を使って大きな石を飛ばした」という伝説もある。
伝説が事実とは思えないが、それに近いことが考えられるとすれば、重力を制御する技術を古代人は持っていたのであろうか。

バールベックの巨石は石切り場から1キロほど離れた場所にありますが、重さ約2000トンの石を、古代の人々はどうやって運んだのでしょうか? ちなみに現在、世界最大のクレーンはNASAがロケットの移動に使用しているもので、釣り上げ可能な重量限界は700トンです。
 この謎を解いた人はまだ一人もいません。けれど、突拍子もない仮説に聞こえるかも知れませんが、この謎を説明できる答えが一つだけあります。
 あくまで2013年12月21日に閃いた「可変チャート」に基づく個人的仮説ですが、もし、マクロ・スケールで太陽系の動きが定期的に変化し、それに伴い地球の重力も変化するのならば、古代の謎はすべて解けます。
 ピラミッドやモアイ等の巨石文明も、当時の地球の重力が現在より軽かったと仮定すれば、巨石を移動したり、積み上げたりすることには、何の苦労もなかったでしょう。当時の科学技術がフラクタルの原理に基づいていたとすれば、ナスカの地上絵は、最初に地面に小さく描いて、後は相似形で拡大したと考えることができる。
恐らくは、ピラミッドの設計も、天体運行と連動したフラクタル・パターンを使った計算によるもの。そして、聖書の「ノアの方舟」(「ギルガメシュ叙事詩」における逸話)をはじめとする、あらゆる古代神話に共通する大洪水は、重力変化によって引き起こされたと考えることができます。海の底に沈んだとされる伝説上の大陸「ムー」や「アトランティス」、そして、ピラミッドを思わせる構造物である「与那国島の海底遺跡」やフロリダ沖の海底遺跡「ビミニ・ロード」も、その時の大洪水で水没した古代文明だったのではないでしょうか?
 ちなみに最近、「アトランティスの発見か?」として話題になっている、北海道よりも広大な面積を持つブラジル沖の海底山脈「リオグランデライズ」からは、人工物としか考えられない巨大で真っ平らな海底部分や煙突状の突起物、真四角の岩などが発見されています。それらが海流で削られてできる形状でないことは、科学者も認めています。だとすれば、やはり海底に沈んだ古代文明が存在したと考えた方が妥当であると思います。
 いずれにせよ、過去、フラクタル科学によって築かれた地球上の文明が、地球の重力変化によって、いったん「リセットされた」と考えて間違いないのではないでしょうか?
 グラハム・ハンコックの著作『神々の指紋』で提示されている多くの謎、例えば「太古の南極大陸地図」(1818年に南極大陸が発見される、はるか以前の古代に書かれたと目される南極大陸の正確な地図)や、インカの空中都市・マチュピチュの存在も、海抜3810メートルにあるボリビア・チチカカ湖から海水系貝殻の化石が出土することの理由も、アラスカやシベリアの凍土の下に、動物や石器、樹木等が圧縮されたように集中して一瞬で凍結していることの理由も、定期的な重力変化による大洪水を前提すれば、納得は行きます。
 また、私は地球上における大陸の形状の変化はプレートテクトニクス=地殻変動による大陸移動ではなく、ロング・スパンの定期的な大洪水により水面上に出ている陸地の形状が大きく変化するため、と考えています。もし、海底に沈んだ古代文明が存在していたと仮定するなら、そうした文明が現在、受け継がれていないことの理由は、大洪水によって、ほぼ一夜で壊滅したから、と考えるしかありません。古代文明の遺跡、痕跡は残ったけれど、知恵を受け継ぐ人間が、まったく存在しない。もし、歴史が分断されることがなく、人類の系譜が続いていれば、ピラミッドの建造方法や建造目的が現在、まったく不明であることの説明が付かない。世界規模の大洪水によって、古代文明が一夜で壊滅したのでなければ、誰かしら、何かしらの形で、そうした知恵は現在にも受け継がれているはずです。当然のことながら、プレートテクトニクス理論でピラミッドの謎を解明することはできません。しかし、「オッカムのカミソリ」の定理(より広範な事象を説明できる単純な論理ほど真理に近い)の通り、地球の重力変化を前提すれば、太古の謎は、ほぼすべてに説明が付く。
数億年前の地球の重力が現在よりはるかに軽かったと仮定すれば、恐竜があれほどの巨体を維持できたことにも不思議はないし、重力変化による大洪水で絶滅したと考えることができる。古生物学における「ミッシング・リンク」(生物種Aから生物種Bへの断絶的進化)も、それで説明が付きます。
また、大ピラミッド真横にある蓋石の下からは、長さ約40メートルの外海航行用大型木造船二隻が発見されており、ピラミッドの地下からピラミッド以外の場所へ向けて伸びている穴もありますが、大ピラミッドの用途、建造目的は、王族が大洪水から逃れるためのシェルター(避難経路)だったのではないかと私は考えています。
中央ピラミッドの斜め前にあるスフィンクス(頭部が人間で身体がライオンの神獣)の胴体には、横に走る深い溝があり、この浸食痕についても風化説や氷河説など様々な説が提唱されてきましたが、大洪水によって長い間、胴体より下が水中にあったためと考えれば、同様に簡単に説明はつく。ちなみに、ピラミッドやスフィンクスのあるギザ台地も、太古、海の底にあったことが判明しています。
重力変化による大洪水は定期的に起こり、地球上の生態系や文明を刷新すると仮定した場合、「世界の仕組み」は、以下のように考えることができます。

 ■宇宙(マクロ・システム=既存フィールド)→■太陽系(ソーラー・システム=重力の発生)→■地球(自転周期を持つハードウェア)が誕生してから5000年周期の重力変化が繰り返され、あるタームで最初の生命(ソフトウェア=情報)が発生→■二倍体生命(性の分化/死の出現)に進化→■生態系の刷新(恐竜の絶滅等)が繰り返された後、サルが人類に進化(言語発生=情報のデジタル化)→■最初の文明が築かれ(スフィンクス等)、大洪水で消滅→■その文明の生存者(ピラコチャ=ケツァコルト)により、次のタームの文明(マヤ、エジプト等)が築かれ、また大洪水でリセット→■その後、現代文明(メソポタミア起源)に至る。

 ……という歴史の流れになっているのではないでしょうか?

*『古代の時計』

100メートル陸上世界記録が9・58秒。山手線のラッシュ時の発着間隔が2分30秒。物理学者はナノ秒単位。そうした非常に細分化された時間の中に我々は生きています。一般的なご家庭の壁掛け時計は、12時間で短針が一周、60分で長針が一周、60秒で秒針が一周。
我々が用いる現代グレゴリオ暦カレンダーは、1日が約24時間で、1年が約365日。その数字は天体運行から算出されたカウントです。現在が2014年なのは、「キリストが誕生したと仮定してから2014年が経ちました」という意味でしかない。ならば、天体周期と連動するシステムとして、マヤ・カレンダーのように、5000年(正確には5125年)で短針が一周、13年で長針が一周、260日で秒針が一周の時計があっても、原理的にはおかしくない。
  現在の時計には、諸々の起源や進化がありますが、ものすごく簡単に書くと、私たちが普通に使っている時計はイギリス・ロンドンにあるグリニッジ天文台から観測した際に、天球上で太陽がもっとも高い位置に達する時刻を正午=昼の12時とするという考え方に基づく時間です。
 私たちが「カレンダー」と言った場合、2014年、2015年、2016年……と、過去から未来へ向かって進んで行く時間をイメージしますよね? でも「時計」と言った場合は、1時、2時、3時と進んで行き、24時間経ったら、また、1時からやり直すサイクル(循環/一巡/一廻り)と考えます。
 「2015年9月に首都直下の大地震が起こる」と言われたら、それは不確定要素の強い予言です。でも、「明日の日没は18時30分です」と言われたら、何の不思議もなく、みんな信じます。なぜなら、「2015年9月」はイメージとして、カレンダー上の未来の暦ですが、「明日の18時30分」は時計の数字=時刻としてイメージできるからです。
 カレンダーは直線的な時間。時計はサイクルする時間。マヤやエジプトの暦もカレンダーの年月日ではなく時刻と考えてみて下さい。
 マチュピチュのインティワナ(石柱)からイギリスのストーンヘンジ(環状列石)まで、古代遺跡には天体の動きと連動した時計らしきものがたくさんあります。ピラミッドそのものが星座の巡りを計測することによって、5000年、1万年単位の時を刻んでいた巨大な時計だったという説もあります。
 古代の人々に「2015年に世界が水没する」と言われても、現代に生きる多くの人にとって、それはいかがわしい予言にしか聞こえません。でも、古代の天体観測装置が、5000年で一巡する時計ならば、「2015年に世界が水没する」という推測は、「明日の18時30分に日が沈む」と本質的には同じ推測です。ただ、その予測レンジのスケールと、予測技術の原理が現代とは違うだけ。そして、現代の時計が、基本的には太陽を基準としたごく単純な天体連動装置に過ぎないことに対し、古代の時計が、現代の時計よりも、はるかに複雑な天体周期と連動した、緻密で正確なメカニズムを持った計測装置だったことは間違いないと思います。マヤの長期暦が5125年なのは、何らかの天体周期が5125年で一巡するからです。
古代の人々にとっては、地上から見た天体そのものが巨大で精密な時計だったのです。
こう考えてみて下さい。機械式の腕時計は非常に精密な部品相互が連携して時を刻んでいます。一つの小さな歯車の動きが狂っただけで、そのズレは時計全体のメカニズムに波及します。同様に、星座時計も、一つの歯車が狂えば全体の動きも狂う。
そして、機械式腕時計内部の歯車のズレが表示板の針の動きに反映されるように、水、金、地、火、木、土、天、海、という太陽系惑星の配置や軌道が変化すれば、当然、それは地上から見た星座の配置や座標に反映されます。
機械式腕度時計のメカニズムが全部、連環しているように、太陽系(ソーラー・システム)というメカニズムも、万有引力によって全部、つながっているのです。そして、地球もまた、その巨大な時計を構成する歯車の一つに過ぎません。
現代文明のあけぼの、古代メソポタミア文明の起源が紀元前3000年ごろとされています。つまり、その頃、地球の重力変化により、文明がいったんリバイスされた(入れ替わった)と考えた場合、前回の大洪水が起こったのが、恐らく、マヤの暦の起源である紀元前3113年だったのだと思います。そして、次に同じ配置に星座が並ぶタイミングが何年後になるのかは、古代の人々に高度な計算技術があれば、推測可能です。
紀元前3113年から、何らかの天体周期が一巡するのが5125年後。5125マイナス3113で、2012。そこから、うるう年の誤差を修正した年が西暦2015年。そして、マヤの暦もエジプトの暦も歴史のシフトを、その年の「秋分」とピンポイントで特定していますが「秋分」とは、太陽黄経が180度になり、昼と夜の長さが等しくなる日。太陽が赤道の真上を通過し、地球の自転軸と太陽の方向が直角になります。地球の歳差運動によって黄経の値は歳月とともに変化していきますから、「秋分」は何月何日ではなく、天球上のあるポイントを地球が通過するタイミングを意味します。
「2015年9月に何かが起こる!」と言われると、ものすごくあやしく聞こえますが、もし、紀元前3113年に重力変化による大洪水が発生し、それから5125年後の秋分に、その時と同じ配置に天体が並ぶ(太陽系を構成する歯車が新しい噛み合わせにシフトする)のなら、また同じことが起こってもおかしくはありません。そして、5125年周期で、どのような惑星間の軌道変化が起こるのかを推測することは、現代のコンピュータ・シミュレーション技術をもってすれば、十分可能です。
 つまり、来年、世界が水没する(重力変化が起こる)のかどうかは、天文学者がひと肌脱いでくれればすぐ分かる、ということです。

*『現代科学と古代科学』

 普通の人の感覚だと、昔の知恵は遅れていて、現代科学が最先端と考えるのが一般的だと思います。でも、もし、現代文明と古代文明が、そもそもの原理から違っていたとしたら、そこに優劣を付けることは可能でしょうか?
 例えば、昔の日本人は「こういう雲が現れたら地震が起こる」とか「こんな雪が降った翌年は作物がたくさん実る」「こういう顔相の人は金運が悪い」といったことを経験則として知っていました。これは、「現象A」と「現象Z」を直結させる科学です。ところが、現代人は「現象A」と「現象Z」の間を「これがこうなるから、あれがああなって、結果、ここがこうなるから、あれがああなる」という形で、A、B、C、D、E、F……Z、全部をつなげて説明できないと科学とは考えません。
 もし、現代科学を細分化科学、昔の科学を経験則の科学とするなら、私がこの本に書いているのは「閃きの科学」です。あなたが、この本を否定もできないけど、100%の納得もできないのは、そのためです。
でも、あなたの足元を支えている常識的な世界観(枠組み/パラダイム)である現代科学も、あくまでこの時代特有のものの見方、考え方、偏見、先入観に過ぎません。
例えば、現代科学も重力のメカニズムが解明されていないのに万有引力について語るように、仮説を前提として真理を語るように「現象A」から「現象Z」まで全部をつなげて理論化することは、どうがんばってもできません。ただ、一見、理詰めで説明しているように見えるから、あなたは現代科学が正しいと信じ込んでいるだけです。現代における科学が「科学」と呼ばれることの根拠は「再現性」という一点のみです。そして、この「再現性」は、常に反証される可能性をはらんでいます。そういう意味では、現代科学のすべても、また疑似科学であり、あくまで科学の一形態に過ぎません。相対性理論や進化論が「絶対に正しい」と断言できる科学者は、この世界には存在しないのです。そして、昔の日本人の経験則に基づく予測と、現代の数式と計器を使った予測、どちらが「正しい」とは誰にも言えません。
古代の天体予測技術も、昔の日本人と同じように「現象A(天体の動き)」と「現象Z(地上で起こる出来事)」を直結させる科学。古代の人々にとっては、B、C、D、E、F……というプロセス自体が不要なのであって、その間をつなげる理論を組み立てる(原理を解明する)という発想自体がなかったのだと思います。

現代とは比べ物にならないほど満点を埋め尽くす星々の動きから、無数のフラクタル・パターンを読み取っていたであろう、はるか古代に生きた人々。

個人の人生が、誕生→成長→老い→死というプロセスを踏む(繰り返す)ように、その相似形として、人類そのもの、地球そのものにも、誕生→成長→老い→死というサイクルがあるのかもしれません。

*『重力変化のメカニズム』

 これは、あくまでパソコンすら上手く操れない、天文学のド素人である私の推測ですが、間もなく太陽系全体の動きに木星を基点とした何らかの変化=シフトが起こるのかもしれません。木星は、多くの文明で神話や信仰の対象となり、ギリシア神話の最高神「ゼウス」を表す惑星。太陽系惑星の中で大きさ、質量ともに最大。単純比較で言えば木星は地球の12倍の大きさ。太陽は地球の110倍の大きさ。地球を1センチのビー玉とすれば、木星は砲丸投げの玉、太陽は大玉転がしの玉程度の大きさになります。
天体では永続的に「軌道共鳴」という現象が起こっています。「軌道共鳴」とは、惑星同士が互いに重力の影響を及ぼし合うことによって、公転周期(太陽の周りを一周する時間)が変化する現象。たとえそれが非常に微小な摂動であっても、長い時間にわたって惑星同士が影響を与え続ければ、最終的に太陽系の惑星は全く異なる配置になる可能性もあります。
 つまり、超巨大惑星である木星は、太陽と大きな軌道共鳴を起こしながら、太陽を軸として回っている(楕円軌道を描いている)わけですから、現在、軌道が安定しているように見えても、太陽と木星の間の重力バランスが閾値(いきち)を超えて崩れた場合、5125年ごとに太陽系全体(特に太陽と木星の間に挟まれている惑星)で軌道変化が「ガクン!」と起こるのではないかと思うのです。惑星間の距離が変わるのかも知れないし、極端なことを言えば、惑星相互の配置そのものが変化する可能性もある。
 こう考えてみて下さい。砲丸投げの太陽選手が「木星」と書かれた砲丸をブンブン回したとします。そうすると、その砲丸は、遠心力がある閾値(時間/タイミング)を超えたポイントで、ビョーンと太陽選手の手を離れ、飛んで行きます。そして、木星が太陽から離れれば、当然、万有引力に引っ張られて地球の重力も変化します。
 砲丸が、ビョーンと飛んで行って落ちる(重力均衡が生まれる)。太陽選手は同じ位置に立ったまま、さらに長いヒモにつないだ砲丸をブン回して投げる。砲丸がさらに遠い位置に落ちる。もっと長いヒモにつなげて回された砲丸は、もっと遠い位置に落ちる。太陽選手の手(中心点)から離れた砲丸が落ちる距離は、断続的に、どんどん遠くなります。この「木星が太陽から断続的に離れるタイミング」が5125年周期なのではないでしょうか?
ちなみに「ナショナル・ジオグラフィック」の記事によると、近年、木星全体でかつてない大変化が起こっているそうです。地球より大きな幅の赤道縞(縞模様)が消えてしまったり、地球規模のサイズの物体が頻繁に衝突(爆発)したり、といった変化です。こうした現象が何を意味するのか、ということについては科学者にも分かっていませんが、木星が大規模な軌道変化を起こし始めている(遠心力が閾値に近付いている)と考えれば説明は付きます。
 また、現在の地球温暖化や震災、津波の多発、異常気象、深海魚の浮上などの現象も、地球の軌道が変化することの兆しなのかもしれません。

*『運命の連鎖』

 私たちは普段、人間脳を使って生きていますから、理屈で納得できないことはいかがわしく感じてしまいます。この本に書いてあるのは、あくまで動物脳(本能/直感)で見えたことを、人間脳(言葉/理屈)で理解できるように翻訳した文章。考えて書いているわけではなく、閃きで書いているので読者を100%、納得させることはできないと思います。
超能力(ESP)とは、恐らく動物脳の覚醒によって起こる現象。私が一時的に授かったのも、ある種の超能力(神がかり的でスピリチュアルな能力)。だから、「大洪水説」や「重力変化理論」を信じることができる人もいるし、信じることができない人もいて当然でしょう。私自身にも自分に見えてしまったものが何を意味するのか、ということについて絶対的な確証があるわけではありません。
でも、例え、それが「スピリチュアル」と呼ばれる超常現象=常識を超えた現象ではなくても、この世の中は不思議な出来事で溢れています。「もし、あの時、夕立が降って、駅前の喫茶店に入っていなければ、あの人と出会うこともなかった」「もし、昨夜、子どもが高熱を出し、出張を止めていなければ、墜落した、あの飛行機に乗っていた」
歴史に「IF、もしも」はないと言います。でも、そうした運命の連鎖やシンクロニシティ(意味のある偶然の一致/必然としか思えない巡り合わせ)といった現象はどうして起こるのでしょう?



『生命の起源』のチャプターで立てた私の仮説が正しいとすれば、原初、太陽(オス)と地球(メス)の子どもとして生まれた最初の生命が内在していたであろうフラクタル・パターン(情報のカタチ)は、連綿と続く生命進化の流れの中で、我々、人間の中に受け継がれているのだと思います。運命、天命、宿命、そしてシンクロニシティと呼ばれるものが、すべての生命に共有されているフラクタル・パターンの相互作用/影響/共鳴によるものだとすれば、この天と地の動き、世相から個人の行為すべてが連動する。人智を超えた膨大なファクターの累積と連環、原因と結果の因果律、そして森羅万象のハーモニーによって。
あなたが今、ふと空を見上げ、頭上を鳥が横切って行ったことも必然です。すべては、予め決められたことなのです。言い方を変えれば、無限の情報処理能力を持つコンピュータに、全宇宙をデータ・ベースとして最初の生命が内在していた情報(太陽と地球の遺伝子)をインプットし、フラクタルで膨大なシミュレーションを行えば、すべての現象は予測可能なのだと思います。未来(変化の推移)はすでに決まっていますから、未来予知や未来を占うことできる人がいてもおかしくはありません。それは本質的に、チェスや将棋で直感的に何十手も先を読む行為と同じ能力です。
あなたが、まさに今、その場所で、その椅子に座り、この文章を読んでいるという現象も、さかのぼれば、あの時、あの場所で、あのことがきっかけとなって、あなたのお父さんとお母さんが出会わなければ、あなたのおじいさんとおばあさんが出会うことがなければ、さらに言うならば、サルがヒトに進化していなければ、生命が、この地球上に誕生していなければ、起こり得ない現象だった。連綿と続く運命の流れ、天体運行と連動した人や物との離合集散がなければ、今、あなたがそこに、そうしていることはなかったでしょう。
 例えば、私たちがインターネットという個人の記憶容量をはるかに超えたデータ・ベースから任意の情報を取り出すことができるように、この人間社会そのもの、生態系のすべて、全宇宙という、膨大な情報の蓄積の中の一つとしてアウトプットされた(生まれた)ファクターが、「私」や「あなた」という個人なのです。
 インターネット上のすべての情報がリンクしているように、「私」や「あなた」という個々の情報系は、すべての情報系とつながり、連環しています。そして、今、この世にあるもののすべては、膨大な歴史(データ・ベース)の積み重ねの上に存在している。
 『世界の終わり』のチャプターで「私たちが認識している世界は『自然』という第一次情報系の上に、『言語』という第二次情報系をかぶせる二層構造の形で成立している」と書きました。でも、厳密に書けば、この世界は四重構造の情報系によって成立しています。
 まず、すべての存在を乗せる土台である地球というハードがある。その上に、遺伝子というアナログ・システムができて、その上に動物脳というアナログ・システムができて、その上に人間脳というデジタル・システムができて、その上にインターネットというデジタル・システムができた。
つまり、生命の起源から現代社会までは、一つながりの情報系なのです。言い換えれば、遺伝子からインターネットまでは、一つの巨大な「生命」であり、私やあなたは、その生命を構成する細胞でしかない。そして、私たちの身体の中で、細胞が相互に作用し合って機能しているように、私(著者)とあなた(読者)も影響を及ぼし合って、世界を形作っているのです。

*『スピリチュアルの構造』

そして「霊」も、また情報なのだと思います。
 スピリチュアルを理解するためには、人間脳はデジタル・システムであり、動物脳はアナログ・システムであること、そして、言葉/記号はデジタル情報であり、心/記憶はアナログ情報であることを把握する必要があります。ごく単純に書けば、人間脳が滅んだ後に残る情報が文学や思想であり、動物脳が滅んだ後に残る情報が霊や魂。
言葉や記号とは「白/黒/赤/青」「時間/空間/あなた/わたし」という形で分割、細分化することが可能な情報(デジタル・データ)ですが、感情や思念は明確な境界線のない、ひとつながりの情報(アナログ・データ)です。そして、このデジタル情報が入っているハードディスクが人間脳で、アナログ情報が入っているハードディスクが動物脳。脳は入れ物であり、物質ですが、情報そのものは眼には見えません。人間の肉体から発せられた言葉が、眼には見えない情報として機能(伝達)するのであれば、肉体から離れた霊/魂が情報として機能(伝達)することもあるでしょう。
動物脳が発達している動物ほど心の複雑さは増して行きますから、ある程度の心の大きさがあれば、死後、動物にもまた霊は発生するのだと思います。
 物質としての生物はいつか滅びます。でも、遺伝情報は次の世代に引き継がれる。その先祖から受け継いだ遺伝子の中に、数代前、もしくは数万世代前の記憶が残存していたとしてもおかしくはない。爪の形や皮膚の色が遺伝するのなら、脳の中のニューロンが遺伝し、性格やクセや生前(先祖)の記憶(過去生)を再形成することもあるのでしょう。「心」や「記憶」とは、すなわちニューラル・ネットワークの中の情報の流れですから。
人間が人間に進化したことの所以は、動物脳(アナログ・システム)の上に人間脳(デジタル・システム)を作り上げ、その二重構造のシステム間でデータのやりとりをはじめたことにあります。例えば、単なる記号に過ぎない言葉によって心が傷つくことがあるように。そして、動物脳(本能)に宿る愛もあるし、人間脳(精神)に宿る愛もある。
 また、頭の中にごちゃごちゃ言葉が溜まっている人、ストレスを抱えている人は、その言葉をブログやツイッター、小説、歌詞という形でアウトプットします。でも、頭の中がスッキリしていて、心身にストレスを抱えていない人は、言葉を吐き出す必要がない。同様に、死に際にストレスを抱えたまま肉体が消滅した人は、その心に抱えたストレスを霊という形でアウトプットするけれど、ストレスを抱えずに死んだ人は、立つ鳥後を濁さず、スッキリ自然界に還る。つまり「やり残した思い」を遂げた時、はじめて人はこの世から完全に消えて、昇天できるのだと思います。

*『霊のレセプター』

 では、霊が見える人と見えない人の違いは、どこにあるのでしょう? それは、日本語が分かる人と分からない人の違いと同じです。
日本語が分からない人に、いくら日本語で話し掛けても「言葉」という情報を伝達することができないように、「霊」という情報も、受け取り手側の動物脳に受容するためのシステムがないと、霊がいくらメッセージを送っても理解されない。見えない。伝わらない。でも、片言の日本語なら分かる人がいるように、少しだけなら霊が見える人もいるのだと思います。
 人間脳に言語を処理するための普遍文法=統一システムが生得的に備わっているように、本来的には人間の動物脳にも霊のメッセージを受け取るためのレセプター(受容システム)は、生得的に備わっているのだと思います。その、レセプターが稼働している人と、稼働していない人がいるけれど、ある程度まで、そのレセプターは、シャーマンやミディアムのように訓練で動かすことはできるようになると思うし、臨死や危機的ショックで、その動物脳の中にあるレセプターが突然、覚醒し、モスマンや啓示のように霊のメッセージを授かることもあるのだと思います。
 私は長い間、10年以上前に亡くなった祖母を意識し思い出すことはほとんどなかったのですが、昨年末(2013年のクリスマス前後)「可変チャート」が頭に降りて来てしまい、発狂寸前まで追いつめられて、二度目に失踪していた時、ふっと心のど真ん中に祖母の顔が思い浮かび、その瞬間、これまでの自分の人生が、祖母という守護霊に守られ、包まれ、支えられて来たことを感覚的に理解しました。少なくとも、その瞬間、祖母の残した愛に包まれることによって、私は救われ、命を取り留め、この本を完成させることができた。
これは、ごく個人的なことではあるのですが、私の祖母が亡くなったのは、後に角川書店から再版される『THE ANSWER』を自費で出版したタイミングとほぼ同じでした。『THE ANSWER』から『ハートメイカー』までは私の中で一直線につながったプロセスです。そして、言語発生起源の発見(スタート)から本書の脱稿(ゴール)までの間には、17年という時間が経っています。
物心付いてから現在まで、何事に付け、私は人生に迷ったことがありませんでした。私の人生には、良くも悪しくも選択の余地というものがなかった。自殺を考えたことは何度もあったけれど、会社を辞めた時も、結婚する時も、『ハートカッター』を書いている時も、失踪した時も、何をしている時も常に「自分は正しい選択をしている」という100%の(無根拠な)確信があった。曲がりくねった、岩だらけの荒れ道だったけれど、枝道すらない一本道をしぶとく歩き続けて辿り着いたのが、この場所です。逆に言えば、私には自由意志が与えられていなかったのかも知れません。
夢に向かって来たわけではないし、目標を目指していたわけでもない。ただ、人生そのものがミッションを帯びていた、としか表現の仕様がありません。祖母は、無条件に愛していた孫である私が、ミッションを遂げるまでを、眼には見えない姿で見届けてくれたのでしょう。そして、そのミッションとは「人類を救済する(新世界へと移行させる)本を書くこと」だったのだと思います。

*『最後の救済』

天文学者によるシミュレーション結果が出るまで断言はできませんが、2015年9月、地球が秋分点を通過する日に、大規模な地球の重力変化が起こり、世界規模の大洪水が起こるのは、やはり確かなのでないかと思います。
「世界の終わり」を力説するつもりもないし、騒ぎ立てるつもりもありません。にわかには信じがたい話であると、自分でも思っています。ただ、そんなことが起こるはずがない、ということが現実に起こり得ることを、私たちは9・11や東日本大震災で経験して来ました。とは言え、例え、近々、現実に地球の重力変化が起こるとしても、直近(5000年前)の大洪水は、世界各地に残る痕跡から推測すると、地域によっては富士山の標高より高い位置にまで達しています。事前に避難しようと思っても、逃げられる場所なんてほとんどない。だから、近い将来、何が起こるにせよ、起こらないにせよ、我々は、ただ、日々を生きるしかありません。朝、起きて、仕事して、食事を作り、子どもの面倒を看て、眠る。そうした暮らしを続けて行くしかない。
でも一方で、こう考えることもできます。
「あと1年で世界は終わる」と思うと、ふっと、気が楽にはなりませんか?
個人の人生でも「あと、1日で死ぬ」と分かっていれば、人間は、すべてのとらわれ(雑念)から解放されて、達観できてしまうと思うのです。
もし、本当に一年後にすべてがリセット(刷新)されるならば、現代社会における、あらゆる問題は解決され、人間は、あらゆるストレスから解放される。「世界の終わり」を前にしたら、主義主張を巡って戦争をする人も、金のために人を殺める人も、人生に惑って自殺する人もいなくなることでしょう。
もし、困ったことや辛いことがあったら、胸の中で「1年後に世界は終わるから、もう、何も考えなくていい」と呟いてみて下さい。そして、もし、あなたのそばに、生きることに悩み苦しむ人がいたら「大丈夫、あと1年ですべては終わるから、もうすぐ苦しみからは解放されるよ」と言ってあげて下さい。
 少なくとも私は「2015年の重力変化」を前提して生きるようになってから、日々の営みを愛おしく感じ、家族も含めて、人々に対して大らかな気持ちでいることができるようになりました。食卓に上る食材に感謝し、機械に生命の息吹を感じ、夜空に瞬く星々と自分の存在との間に、つながりを見ることができる。
私たちは、きっと、かつての大洪水を生き延びた人々の末裔(まつえい)。そう、未曽有(みぞう)の大災害を力を合わせて乗り切った人々の。昔、私たちは一つだった。「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」そんな時代が確かにあったのです。
 こう考えてみて下さい。もし、現実に宇宙人が地球に侵略して来たら、きっと、全人類は、人間同士で争うことを止め、世界中の人々が手に手を取って、力を合わせて宇宙人と闘うと思います。大洪水も同じ。小さなことで、いがみ合っている場合ではないのです。
意図したことではないのですが、世界は二つの方向から破滅へと向かい、そして新しい世界へと脱皮しようとしています。一つのベクトルは、ソフトウェアとしての文明の崩壊と再生。もう一つのベクトルは地球の物理的な崩壊と再生。その流れは、少なくとも私には、歴史の必然のように思えます。

生物はみな、誕生、成長、老い、死を繰り返す。人間も人類も惑星も同じです。

私の「預言」が当たっても当たらなくても、どちらでも良いのです。でも、もし「一年後に大洪水が来る」という予測を世界中で共有することによって、世界が平和になるのなら、「世界の終り」も悪くはありません。実際に大洪水が来てしまったら、生き残った人々で「新世界」を作ればいいし、生存者がいなくても地球は別に困らない。
自分が死ぬ、ということに関して言えば、交通事故で死のうが、数十億人と一斉に死のうが、同じなのです。半信半疑でも構いません。「自分に、そして人類に残された未来は後一年」と真剣に考えてみて下さい。きっと、明日から、あなたの人生は変わります。



 

Amazonでの購入はこちら

【定価】1,620円
【発行】2015年3月11日
【総ページ数】221ページ
【版元】青山ライフ出版
 
Amazonへ
 


各章へジャンプ